学校スポーツがルーツ
そもそも、ラグビー発祥の地が学校でした。
その名も「ラグビー」という名の町にある、名門の男子校。
学を高め、社会に貢献することができる子女を育成する学校。
その教育活動の一環としてラグビーが導入された面が大きいようです。
つまり、ラグビーは、教育的意義とその精神が優先となりました。
もともと営利(金儲け)とは馴染みがありません。
なので、プロ化する必要がないとしていたのです。
さらに、多くの社会人がクラブでラグビーをやるようになりました。
それでも、社会に関わるのはあくまでも自分の職業。
プレーの目的は,自己鍛錬や社交の場である、という考え方が一般的でした。
ラグビーの価値感覚との関連
ラグビーには、五つの主要な価値観があります。
「潔白」「情熱」「結束」「規律」「尊敬」
これらが深くラグビーを体現します。
ラグビーをプレーする人間性やスポーツマンシップにこれらが関わっていくのです。
この価値観が長年、大切にされ、重要視されて続けてきました。
そして、これらがラグビーの価値として言葉になったのは2000年代。
紛れもなく,この五つは,人が集団で生きるための指針に他なりません。
このラグビーが持つ方向性が,「アマチュアリズム」に深く結びついていたのです。
時代の波
しかし、前々から、プロ化に関する提案は多くありました。
「アマチュア」と言いながら、形だけクラブの親会社に雇われ、ラグビーに専念する選手もいました。
1990年代に入ると、事実上のプロ選手が多く存在するようになったのです。
時代の波には勝てず、1995年のワールドカップ以後、ラグビーのオープン化(プロを容認する)が容認されたのです。
それに伴い、戦術面、選手の育成面、そして職業ラグビー選手のコンディショニングが進化。
個人が高速化・巨大化(筋肉量の増加)が顕著になりました。
明らかに、ラグビーは変化したのです。
変わらないこと
ラグビー選手達は、自分達の高みを目指して自分を磨いていきます。
科学や生理学の見地に従えば、競技性と質はより高まっていくのは必然でしょう。
しかし、よりプロとしての純度が高く、ラグビーで何かを達成するためには、この「アマチュア精神」の純度も高まっていることが多くあります。
日本でも、多くの社会人選手がプロの道に進むことも増えてきています。
しかし、ラグビー精神が無くならない限り、このアマチュアリズムは引き継がれていくでしょう。
どんな時も、自分だけの利益を追い求めず、皆と苦楽を分かち合い、自分がその集団のために力を尽くす。