日本の最高峰”ジャパンラグビーリーグワン”

「社会人リーグ」からの転換
日本ラグビーの最高峰リーグと言えば
「ジャパンラグビーリーグワン」
かつて日本では、「全日本社会人リーグ」と呼ばれるラグビーリーグが存在しました。
会社所属のラグビークラブから発展させ、日本ラグビー強化の必要性を求められました。
そこから、2003年に「ジャパンラグビートップリーグ」が始まりました。
その後、さらに加えて、クラブチームの地域密着、プロクラブとしての発展と昇華していきました。
その流れの中で、2022年より,リーグワンへと進化したのです。
選手の「リクルート改革」
幼・小・中までは地域のラグビースクール(中学は稀にラグビー部がある)でプレーすることが多く、高校からは学校の部活動で、学校のチームに所属してプレーすることが多いです。
高校を卒業してから、すぐにクラブチーム入りをすることは滅多にありません。
大方が国内の大学でプレイした後か,海外でやっていた選手(外国人,日本人共に)が所属する流れが一般的です。
そこで、2023年度より、大学最後のシーズンを終え、所属クラブチームが決まった大学生が、大学を卒業する前に、クラブチームの選手登録ができ、試合に出場することもできる、「アーリーエントリー」も始まりました。
「大学リーグ」が最高峰!?
一方で、今でも、昔からのラグビーファンは、「大学ラグビー」をとても大切にしています。
かつて、観客動員数も、圧倒的に大学ラグビー(と言っても,早稲田,明治,慶應義塾ぐらいだが)が多かったのです。
ラグビーが話題になることと言えば、それも1990年代まで、主要大学のその年の勢力図が多少話題になるくらいでした。
一般の人が観る試合は、せいぜい年明けの大学選手権決勝(今も毎年NHKで放送)ぐらいでした。
かつては、大学No.1チームと,普段ほぼ人目に触れることのない社会人チームが対戦する「日本選手権」というものがありました。(1996年シーズンまで)
その試合も、テレビ放送されていましたが、そこで初めて社会人チームの試合を観る人が大半でした。
つまり,当時のラグビーは,観客動員数(人気)を見ても、大学リーグが最高峰という他ない状況でした。
日本ラグビーの変革と強化
「社会人ラグビー」と呼ばれていた時代、ラグビーは完全にアマチュアのスポーツでした。
無論、心の底からラグビーを愛する選手が、会社のチームに入ってプレーを楽しむことが前提でした。
社会人チームの重要度が、今ほど高くなかった時代、ラグビーよりも仕事を優先する選手も少なくありませんでした。仕事を中途半端にしてしまうと,ラグビーにも差し支えると考える選手も多かったようです。
1995年の南アフリカワールドカップ前後、世界のラグビーは「プロ容認」の流れに一気に傾いてきました。
プロ契約することで、ラグビーに専念できる選手が増え、ラグビーのパワー(フィジカル)とスピードや持久力(フィットネス)が一気に上がりました。
日本は当初その考え方にはラグビー協会自体が否定的で、あくまでもアマチュア選手を基本とする、日本の企業会社員ラグビー選手でした。
しかし、どんどん実力は世界から引き離され、到底太刀打ちできるような状態ではありませんでした。
2011年のワールドカップまでの7大会中、日本はたったの1勝(と2引き分け)することしかできなかったのです。
その危機感から、すでに国内ではトップリーグは立ち上がっていましたが、そこからの日本ラグビーのレベルアップまで、とても長い道のりを要することになりました。
最高峰,ジャパントップリーグからリーグワンへ
2015年ワールドカップイングランド大会で、これまで1勝しか挙げることしかできなかったのに、南アフリカ戦の勝利を含む、3勝を収め、日本は大躍進を遂げることができました。
ここから日本全体のラグビーに対する認識や機運が一気に転換します。
大会で活躍した選手達が所属するのは皆トップリーグ。当然注目が集まります。
見られる側からしたら、注目されるのはラグビーの認知度を上げるのに絶好の機会。
当然、レベルの高い試合が望まれるようになります。
世界各国のタレントが日本へ、大学で活躍した選手がトップリーグへ、中には叩き上げの苦労人が躍動するなど、いろんなストーリーが認知されるようになりました。
2024年現在、リーグワンとなった年から連続で、観客動員数記録は更新され続けています。
名実共に「日本最高峰リーグ」となっているのです。
ラグビーの不思議な歴史②

学校スポーツがルーツ
そもそも、ラグビー発祥の地が学校でした。
その名も「ラグビー」という名の町にある、名門の男子校。
学を高め、社会に貢献することができる子女を育成する学校。
その教育活動の一環としてラグビーが導入された面が大きいようです。
つまり、ラグビーは、教育的意義とその精神が優先となりました。
もともと営利(金儲け)とは馴染みがありません。
なので、プロ化する必要がないとしていたのです。
さらに、多くの社会人がクラブでラグビーをやるようになりました。
それでも、社会に関わるのはあくまでも自分の職業。
プレーの目的は,自己鍛錬や社交の場である、という考え方が一般的でした。
ラグビーの価値感覚との関連
ラグビーには、五つの主要な価値観があります。
「潔白」「情熱」「結束」「規律」「尊敬」
これらが深くラグビーを体現します。
ラグビーをプレーする人間性やスポーツマンシップにこれらが関わっていくのです。
この価値観が長年、大切にされ、重要視されて続けてきました。
そして、これらがラグビーの価値として言葉になったのは2000年代。
紛れもなく,この五つは,人が集団で生きるための指針に他なりません。
このラグビーが持つ方向性が,「アマチュアリズム」に深く結びついていたのです。
時代の波
しかし、前々から、プロ化に関する提案は多くありました。
「アマチュア」と言いながら、形だけクラブの親会社に雇われ、ラグビーに専念する選手もいました。
1990年代に入ると、事実上のプロ選手が多く存在するようになったのです。
時代の波には勝てず、1995年のワールドカップ以後、ラグビーのオープン化(プロを容認する)が容認されたのです。
それに伴い、戦術面、選手の育成面、そして職業ラグビー選手のコンディショニングが進化。
個人が高速化・巨大化(筋肉量の増加)が顕著になりました。
明らかに、ラグビーは変化したのです。
変わらないこと
ラグビー選手達は、自分達の高みを目指して自分を磨いていきます。
科学や生理学の見地に従えば、競技性と質はより高まっていくのは必然でしょう。
しかし、よりプロとしての純度が高く、ラグビーで何かを達成するためには、この「アマチュア精神」の純度も高まっていることが多くあります。
日本でも、多くの社会人選手がプロの道に進むことも増えてきています。
しかし、ラグビー精神が無くならない限り、このアマチュアリズムは引き継がれていくでしょう。
どんな時も、自分だけの利益を追い求めず、皆と苦楽を分かち合い、自分がその集団のために力を尽くす。
ラグビーの不思議な歴史①
「アマチュア」スポーツ

その教育的側面や競技性から、世界的なスポーツとして認知されています。
しかし、ラグビーがオープン化(プロフェッショナルも容認すること)してからまだ30年くらいしか経っていません。
つい最近まで、ラグビーはアマチュアスポーツであったことをご存知でしょうか?
異なるラグビーの存在
日本で一般にラグビーとして認識されているのは、「ラグビーユニオン」のラグビー。
19世紀の終盤、イングランドのフットボール協会と、ルールをめぐって分裂。
ちなみに、アメリカや日本で、フットボールは主に「サッカー」呼ばれます。
この名称は,”Association Football”「協会が支持した」フットボールきているようです。
それを略称として、"Associationer"と呼んでいて、さらにその短縮形が"soccer"になったようです。(諸説あり)
もうひとつのラグビー
しかし、ラグビー自体にも「ユニオン式」という区別ができてしまう論争が、サッカーと分かれて間もなく起きてしまいます。
日曜に試合があると、当然次の月曜には、多くのプレーヤーはそれぞれの勤務がありました。
日曜に怪我をしてしまったり、平日に必要だからと、仕事を休んで練習したりすると、当然勤務に支障をきたすことになります。
当時のほとんどの職場は休業補償などなく、生活費の問題が挙がってきます。
そのため、一部のプレイヤーは、自分の所属する会社や、ラグビークラブに、その分の給料保証を要求するなどの行動に出始めました。
しかし、報酬のためにラグビーをプレイすることに繋がるなどの理由で、ラグビー協会から認められることはありませんでした。
アマチュア一辺倒の協会を見限る選手も増え、自分達で新たな「リーグ」を作り、有料で観客を会場に入れたり,スポンサーを募ったりする試みも行われたようです。
こうして、そのラグビーは「ラグビーユニオン」から抜け出すことになります。
名称は「ラグビーリーグ」(ややこしさから,「リーグラグビー」と呼ばれることもある)。
「ラグビーリーグ」のラグビーはユニオンのルールや試合運びがだいぶ異なります。
元々、選手達の休業補償がない、という側面からか、ケガをしやすいプレイ(スクラム,ブレイクダウン,モールなど)がないか、軽妙なものに換え、負荷がかからないようにしたようです。
アマチュアへのこだわり
ラグビーリーグは発足当初から、プロ化が前提でした。
現在でも、リーグラグビーの人気が高い地域では、ショーのように盛んに宣伝されます。
国や地域の代表戦よりも、国内チームに多くのファンがつくようになりました。
まるで舞台のように演出もされることがあります。
現在オーストラリアやニュージーランドでは、自分のキャリアを考え、ふたつのラグビー間を行ったり来たりする選手も多く見受けられるようになりました。
なぜ,ユニオンはプロ化が遅れたのでしょうか。
それは、「アマチュア」にこだわり続けたことに疑いはありません。
なぜ、その「アマチュア」にこだわったのでしょうか。
(その②に続く)
ラグビーの楽しみ方いろいろ

いろんな人が、いろんな形でラグビーを楽しんでいます。
最近はずいぶんとトップレベルの試合を気軽に、気楽に観戦できるようになってきました。
最近会場では、かつてはあまり見られなかった光景が広がっています。
こんな人々が
国内プロリーグであるリーグワンに多いのが家族連れ。
かつては、中年の男が一人で休日にこっそり抜け出して、ラグビー場に行くぐらいでした。
それが今や、堂々と家族分のチケットまで取っての観戦。
小さな子どもたちは、当然あっという間にラグビーの試合に飽きてしまいますが,夫婦でそんなのもお構いなしに、ビールをあおっている光景がよく見られます。
ちなみにビールはラグビー観戦の世界共通公式?ドリンク。
会場では飛ぶように売れています。
昔ながらのファンも、「ラグビー見慣れてますよ」系のおじさんたちも健在です。
チケットが昔より高いだなんだとぼやいたりしています。
以前は、ラグビーの試合自体が、特定の大学の試合(早稲田大,明治大あたり)以外は興行になっていませんでした。
つまり、お客さんは全く入らないし、収入も期待できる状態ではありませんでした。
でも今は、普通に観客席が埋まっています。
そして、毎試合で、ラグビーらしい、とても素敵な光景が見られるようになったのです。
新しいファン
続いて、よく見られるようになったのは、女性の2〜3人組での観戦。
コロナ禍以前は、見るからに、誰かに連れてこられて、初めてです、的な方々が大半でした。
2023−24シーズンは、比較的観戦に慣れている様子の女性が増えている印象。
応援している選手(これも「押し活」と言うのかも)の名前が書かれたタオルを手にして、活躍や出番を待っている。
以前よりも落ち着いて、まるで友達の出番でも待っているかのようにも見えます。
サッカーや野球ほどではないにしても、そんな「当たり前ファン」みたいなタイプは、逆にラグビーでは新鮮に感じます。
それぞれの立場で
先日観に行った試合で、自分の観客席の近くに、とても都会的で洗練されたルックスの、若いご婦人と、まだ歩き出したくらいの可愛らしいお子さんが観戦していました。
雰囲気的には、都内のタワマン内にある小さな公園にいそうで、ラグビー場にはなんだか似つかわしくないな、と思いました。
しかし、よく見ると、ふたりとも一方のチームの、ユニフォームレプリカを着ていて、お子さんの背中には番号が入っていました。
さすがにすぐにピンときました。このふたりは、おそらく今日出場している選手の家族。
しかし、今日そのチームのその番号の選手は、まだ大学を卒業して数年で、妻と子どもがいるとは思えない。なるほど、パパは控えのあの選手。
お子さんは試合などはまったく見ていなく、たくさんの観客に愛想を振りまいてくれます。
吸い込まれるような青い空に、飛行機が見えると興奮気味にはしゃいでいます。
にっこりした顔はパパにそっくり。
パパが出てきた瞬間、奥様はしきりに「パパ〜!」と声を上げ、連れ立った人達と周りでそれをさらに盛り上げます。
お子さんは,大型スクリーンに映る別の選手に向かって、「パパ」と言ってしまいました。
周りも状況が分かって、笑いが起きます。
ラグビーの本当に素敵な、かけがえのない光景です。
楽しみ方いろいろ
楽しみ方は本当に十人十色。
個人的には、周りで話しかけても大丈夫そうな人とお話しながら観戦するのがおすすめ。
いろんな方と、ラグビーとの縁の良き話をたくさん知ることができます。
いろんな角度からラグビーを楽しんでもらいたいです。
他競技からラグビーを学ぶ
ラグビーと剣道は似ている?

先日、筆者の友人の誘いで剣道の試合を観戦しました。
普段ラグビーの試合しか観ない者にとってはとても新鮮。
しかし、恥ずかしながら、ラグビーを片時も忘れることはありません。
試合を観ている最中、ふと妙な共通点を勝手に見出してしまいました。
剣道は一対一の個人競技。ラグビーはひとチーム15人の団体競技。
全てにおいて似ているところなどほぼありません。
無理やり言うとすれば、時折組み合いになることがあります。
また、意図せず衝突したり、倒れたりします。
しかし、それをもって「似ている」かなり強引としか思えません。
実は、私が注目したのは、審判でした。
剣道のルールと審判
剣道の試合には、主審ひとり,副審ふたりの計三人の審判がいます。
一方の選手が,「面・銅・小手」の位置を,竹刀で叩く(という言い方が適切か分からないが…)
と、「有効打」となり、それが審判三人から認められる形で「一本」を取ることができます。
最終的には、二本先取することで勝敗が決まります。
奇しくも,審判が三人なのはラグビーも同じです。
これを共通点とするのはいくらかくだらない気がしますが。。。
厳密にはラグビーはTMO(テレビジョン・マッチ・オフィシャルと呼ばれるビデオ判定員がいる)も含むので、審判は剣道よりも多いのですが…。
ラグビーと剣道のレフリングが似ている
試合を観ていると,時折竹刀の弾ける音が聞こえてくる。「面!」という威勢のいい声。
その雰囲気に圧倒されてしまいました。
「バシーン!!」「あ、決まった!」と思いきや、審判は旗を持つ手を下の方向に振っています。
「決まっていない」と判定されたよう。
自分も含む素人は、すぐさま「今入ったよね。なんで?」と思ってしまいます。
剣道に詳しい知人に言わせると、
「今のは甘い。ちゃんと当たる前、当たった場所、当たった後の所作がいまいち。声も出てない。」
「タイミングが違うんだよな。」
???
さっぱり分かりません。
しかし、友人のある一言で、ハッとしました。
「今日の審判員,こういう癖あるよね」
「あの選手,今日の審判にフィットしてないな。」
「お、今のが一本か。」
なんかどこかで聞いたことあるな・・・ラグビーの反則のあれだ!
勝手に共通点
ラグビーもそうですが、剣道も、いくら試合を観る経験が長くても、その時の審判の判定をすぐさま理解できないことがあります。
その時に、判定する基準がしっかりと分かっていれば、すんなり納得できるときがあります。
でも、時と場合によっては全然納得できないことも多くあります。
ですが、
審判と共に試合を創る
という感覚で試合を観ると、いろいろと見えてくるものがあります。
審判員それぞれ、大切だと思うポイントが異なります。
剣道にも、ラグビーにも、ニュアンスがだいぶ異なるようですが、試合前に、自分達の練習を見てもらったり、審判と話をしたりすることができるようだ。
審判員は、単に試合のジャッジを任されているわけではなく、その試合を創造する「仲間」だととらえておくと、なるほど、と思える点も多くあります。
イギリス生まれの騎士道とラグビー、日本の武士道を伝えた剣道。
文化的背景は違えど,お互いを尊重する精神は共に重要なのでしょう。
ラグビーの試合の協働性
ラグビーでは、一回目に起きた反則の時は、笛を吹かず、口頭で注意だけをして、二度目からは実際に反則として表現する審判がいます。
また、試合が始まる前(または試合が始まってすぐ)に、重点項目を宣言する審判もいます。
そうやって意思疎通を図りながら試合を進めまるのです。
ある年の全国高校ラグビー大会。同点の激戦を終えた高校生がこのようなことを言いました。
「僕たちが力を出しきれて,こんなに素晴らしい試合ができたのは、今日の相手の学校と、審判がいたから。まるで一緒に試合を創り上げているようだった。」
ラグビーは戦い。綺麗ごとだけでは済まされません。
でも、高い次元の戦いには、こんな境地も存在するのです。
上記の少年は別に格好をつけている訳ではありません。
本当に心からそう思った上での発言でした。
そんな眼をする選手たちと審判。
複雑だと思われているラグビーのルールが、こんな風に生きて選手たちに届いていきます。
こんな見方でラグビーを観るのも楽しいと思います。
ラグビーがラグビーであるためのルール
「手で前へ」はNG

ラグビーがラグビーであるための、代表的な決まり(ルールとも言うが)がふたつあります。
「スローフォワード」(反則名)
ボールキャリアが、アタック方向(自分達の攻める方向)に向いた状態から、自分の横180度より前方にボールを手で投げてはいけない。
軽妙な反則として捉え,相手ボールのスクラムで再開。
「ノックオン」(反則名)
ボールキャリアが、アタック方向にボールを手や腕でボールを落としてはならない。
スローフォワードと同様に、軽妙な反則として捉え、相手ボールのスクラムで再開。
このふたつの反則は、試合中に必ず起こる(ことが普通)反則だ。
特にノックオン(ノッコンと聞こえる)は頻繁に起こる。
これらの反則が、共に「軽い」反則、と捉え、スクラムで再開するのがとてもユニーク。
「ちょっとした反則を犯したね。では、命をかけてボールを奪い合ってもらいましょう。」
ということがどうかは分かりませんが、スクラムでの試合再開となります。
理不尽なルールですが、ラグビーをヒロイック(勇気ある)なスポーツにする大切な要素です。
ラグビーの独自性と思想
バスケットボールやハンドボールなど、手でボールを扱いながら、前方向にボールを投げて試合を進めるスポーツはよくある。
ラグビーの元となったフットボール(サッカー)は、ボールを「蹴る」ことで前に進められる。
では、なぜラグビーは前方向に、手や腕でボールを進めてはいけないのでしょうか。
もっとも一般的な理由として、「ゲーム性を前面において、試合を難しくして面白くする」という競技の側面からの設定が挙げられます。
ボールキャリアの前に他のプレーヤーがいれば、相手のディフェンスと対峙することなく、するりとボールを渡すことができます。
それが面白くない、ということがどうかは分かりません。
ラグビーから分かれたアメリカンフットボールはむしろ前にボールを投げ、それをキャッチすることがスーパープレイであり、花形の技となっています。
ラグビーの思想との関連性
しかし、ラグビーの全ての反則を見てみると、共通の思想が見えてきます。
ラグビーの5つの中心的価値である項目の中に"integrity"(品位)というものがあります。
簡単に言えば、「きれいであること」。
ラグビーは陣取りゲーム。
だから,前に進めなければならない。
もともとの競技はフットボールだから、足で蹴るのは問題はありません。
しかし,手でボールを扱っていいとなると…と考えたのでしょうか。
手でボールを持つなら,相手のディフェンスを欺くようなプレイではなく、体と体のぶつかり合いで,強弱を決めるのがいさぎがよい、真剣勝負ができる、と考えることができます。
手先のプレイで気軽に前に進められない=誠実
別に何かに定められている訳ではないが、一旦自陣側にボールを戻しながら、チームでどう前に進むことができるかを考えながらゲームを進めている意識を感じます。
ですが、前にボールを投げてゲームを展開することができないことが、より競技と、プレイヤーの個性を際立たせます。
してはならない
これが、これほどゲームを豊かにするスポーツはラグビー以外には見当たらない。
ラグビーセラピー 〜 序章 〜

突然の言葉
ある日、ラグビーとは無縁の知人が突然言った。
「世界のみんながラグビーに関われば世の中は平和になるよね。」
2019年、TBSで放送されたドラマ「ノーサイドゲーム」に、ひょんなことからハマったそう。
それを観ての感想ということでした。
なぜ、そう思ったのか、知りたかったので、本人に後で聞いてみました。
みんな大切
ラグビーに限らず、スポーツは感動します。
だから、スポーツドラマは大概、感動させてくれます。
友人がそのラグビードラマの何に感動したのかを教えてくれました。
「ラグビーを愛する,または愛するようになる人達は皆、自分のためじゃなくて、他の誰かのために行動しているんですよね。」
「利益とか名誉とか、名声とかはなくて、純粋にお互いを大切にしているんだよね。」
「”オレが頑張ってるんだ”みたいな、自分中心のサクセスストーリーもないしね。」
対極の価値
なるほど。へたにラグビーを知ってます、みたいなコメントではない。
でも,感じてくれた何かがあるようだ。
そこには,一点の曇りもない。ただただ穏やかに、静かに私に語ってくれました。
しかしそれはラグビーの本質を突いている内容でした。
ラグビーは体が大きくて、筋骨隆々で、力が強くて、足が速くて、喧嘩っ早い、怖い人達の為のスポーツ…
ではありません。
体が小さくて、なかなか体重が増やせなくて、足が遅くて、おとなしくて、弱そうに見える人達。
そんな彼らの可能性も信じるスポーツなのです。
普段の生活で、あきらめてしまっている大切な価値観や、理想の人間集団、そして思いやりの気持ち、そして相手への敬意がそこにはあります。
当然、そこに至るまでには、葛藤や努力、紆余曲折。
楽に話が運ぶわけもありません。
しかし、傷つき、純粋が故の、人に対する優しさもそこにはあるのです。
そして,癒やしへ
ここで、筆者は表題にもあるラグビーセラピーを提唱したいと思います。
殺伐とした日常に、「人は善き(よき)もの」と信じるラグビーの価値観を注入したい。
疲れ、傷ついた心を労り、そして勇気づけてくれる、そんな価値を。
価値の高いエピソードや、ラグビーの所作、観戦方法をお示しして、心の癒しを体系化させていきたいと考えています。
とても小さな力ですが、大きな感動を伝えていければと考えています。
そして,皆さんと一緒に豊かな人生を送って生きていきたいと思います。
ようこそ、ラグビーセラピーへ