ラグビー感動研究所

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なぜラグビーをやるのか

世界平和を求めて 〜スポーツとラグビーの意義〜

スポーツとしてのラグビーは、娯楽として世界中で楽しまれています。

スポーツは、時の権力者が,自分の権力や国力の誇示など、国民の支持を集めるために利用されてきた側面もあります。

時代によっては、政治や権威から目を背けさせるための手段として用いられることもあったようです。

 

今現在、依然として人が命を奪い合う国家対国家、または国内での争いや紛争も続いています。

近年、世界平和のため、スポーツが国際平和に果たす役割はさらに大きくなっています。

 

では,ラグビーというスポーツには,どのような意義や理念があるのでしょうか。

 

ラグビーの特殊性

目の前で観戦して,まずハッとするのは,ラグビーのコンタクトプレーの激しさ。

危険行為はこと細かく規制されています。

それでも,原則相手を引き倒したり,どかしたりする行為は,やり方の規定こそありますが、正式に認められています。

「バチッ」

ラグビー場で生で聞くタックル音は、背筋が凍るような、なかなかの激しさ。

試合の前に選手達は、痛覚を超えた,誇りと献身に身を投じる覚悟をします。

大きい声を上げる選手、祈る選手、まだ試合前なのにもう感極まって涙を流す選手までいます。

なぜ,やるのか

強い痛み、大きな怪我の危険性。時には命さえ危険にさらされる。

それでもなぜ、選手達はラグビーをするのでしょうか。

 

その答えは簡単ではありません。個々によって様々な事情があるのでしょう。

 

好きだから。

ずっと前からやっていて,やめるのが勿体ないから。

周囲から期待されているから。

進学のため。

就職のため。

生活のため。

金のため。

家族のため。

大切な人のため。

痛み<大切な何か

心理学でよく言われることがあります。

「人間は自分の危険を認識するために痛覚がある。」

「危険を回避するために,痛みを感じ,また,そのことを嫌悪する」

 

誰でも痛いのは嫌に決まっている。怪我もしたくない。

それでも選手達は臨みます。

女性が分娩・出産をする際、激しい痛みを伴います。。

その痛みは筆舌を尽くしても表現しきれません。

生物学的男性として、もし同等の痛みを感じることができたとします。

どうやら数秒で、その痛みによるショックで命を落とすそうです。

なぜそのような痛みに耐えうることができるのか。

そして再び出産を繰り返すことができるのか。

 

科学的根拠などありません。しかし、

「産みの喜び」

「他を生かすための厳しい忍耐」(自己犠牲とは異なるもの)

があるからではないでしょうか。

自分ひとりのためなら,そのような苦痛に耐えることなどできない。

でも,深い覚悟や敬意、そして深い人間愛があるのなら、その痛みに耐えることができるのです。

 

ラグビーには,5つの,中心に据える価値があります。

それらは、出産における「産みの痛みと苦しみの先の喜び」に似たものではないでしょうか。

 

ラグビーは、きっと一般常識がある普通の人なら、何がよいのか、何が面白いのか、と疑問に思うでしょう。

 

本能を超えた興奮と愛がラグビーにはあります。

それが分かりきったが故の愛おしさが、ラグビーにはあります。

 

「戦い」を超えた「知性」がラグビーにはあるのです。